学校長あいさつ

 このたびの異動で清水小学校に赴任しました。5年ぶりの学校勤務になり,毎朝7時半前には校門に立って,登校する子どもたちを出迎えております。
 清水小の子どもたちの素晴らしい点に早速気づきました。

 それは,「おはようございます。」と言ってからお辞儀をする『語先後礼』の習慣がしっかりと身についている子が多く,長年のしつけが行き届いているのを感じております。
 はにかみながら,優しい声で挨拶をする子,先を急いで駆け込みつつ,門の前でぴたっと止まって元気よくあいさつをする子,逆に今朝はどうも調子がよくないのか,何となく元気のない子など,日々子どもが見せる表情は様々です。あいさつをしながら,子どもたちがこれから始まる一日の生活を送る上で,果たしてどのように声をかけたらよいか,子どもの心の琴線に届くメッセージは何だろうか考えてしまいます。

 そんな時,頭に浮かんだことがあります。それは,あいさつの言葉に「笑顔」を添えたらいいのでは…脳神経外科のある先生は『笑いの効果』として「笑いにはやる気を起こすドーパミンと精神を安定させるセロトニンを分泌する」と述べています。顔の筋肉を動かし表情を変えることで,自律神経の頻繁な切り替えを起こすそうです。
 まずは,私自身が子どもたちとともに笑顔で明るく毎日を送れるように心がけること…そんな一年を送っていきたいと思います。
 この一年,学校の教育活動に対して御理解と御協力をどうぞよろしくお願いいたします。
第30代 校長 豊永 藤浩

(本校区にゆかりのある偉人の史跡)

  ○ 「西郷 隆盛」蘇生の家  

  清水寺成就院の勤王僧月照(げっしょう)は,薩摩を頼り,京都から逃げてきました。しかし,幕府の仕返しを恐れた薩摩藩は,月照を助けることをせずに,逆に,西郷に月照を切り捨てる役を命じました。落胆した西郷は,11月16日未明に,船で月照と酒を酌み交わし,錦江湾に飛び込みました。近くにいた福岡藩士平野国臣らが二人を引き揚げ,近くの砂浜で焚火をもって暖めてから,付近の坂下長右衛門宅に収容しました。そこで,西郷だけが生き返り,月              照は二度と息を吹き返すことはありませんでした。

○ 初代文部大臣「森 有禮」生誕地

 森有禮(もり ありのり)は,1847年,春日神社の近くで生まれました。18歳の時,藩の代表としてイギリスに留学しました。その後,ロシアやアメリカに見識を広めます。帰国後は,国の役人になりました。男女平等や廃刀などを早くから唱え,自分も実行して世間の人をびっくりさせました。
 1885年,日本に内閣ができると初代の文部大臣となり,小学校・中学校・大学という仕組みをつくり,教育政策にたいへん熱心に取り組みました。

○ 「伊藤 祐亨」生誕地

  伊藤祐亨(いとう すけゆき)は、1843年清水小学校の敷地内にある土地に生まれました。薩英戦争のときには、決死隊員となって活躍しました。
 1894年に始まった日清戦争では、連合艦隊司令官として指揮をとり、黄海海戦などで手柄を立てました。その働きで、軍人では、最も高い位の元帥になりました。

○ 「藤島 武二」生誕地

 藤島武二は,若い頃,父や兄と死別し,母や小さい兄弟の面倒を見るなど,苦労しながら絵の勉強を続けました。そして,黒田清輝に進められて東京美術学校(今の東京芸術大学)の先生になりました。その後も,フランスなどで絵の勉強に励みました。黒田清輝などと明治時代の洋画界の道を切り拓いた人です。「東海旭光」「芳恵」などが代表作です。
 一昨年度,鹿児島市立美術館で生誕150年記念の作品展が開催されました。

 

 

 

トップへ